瀬見温泉 山形最上温泉郷 義経弁慶伝説の湯
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山形瀬見温泉組合

瀬見温泉には、義経・弁慶に関する伝説が数多く残っています。
 室町時代に書かれたとされる、義経一代記「義経記」によると、兄源頼朝の追っ手を逃れ岩手県平泉に向かう途中、文治三年(一一八七)に、最上地域を通ったとされています。なかでも瀬見温泉周辺には、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音や弁慶の笈掛け桜といった義経主従にまつわる数かずの伝説、旧跡が残されています。
 悲劇の武将として伝えられる義経に、哀れみと親しみを感じ、各地に伝説が残ったのではないかと思われます。遠く平安時代に思いをはせ、伝説の場所へ足を運んでみませんか。

 

産湯【うぶゆ】

弁慶が岩を割って見つけ出した温泉は、
今の「薬研湯」で自然の岩風呂である。
産湯のモニュメントは飲泉が可能。

 

薬研湯【やげんのゆ】

産湯を探して谷川を下った弁慶が、川辺に湯煙を見つけ、なぎなたで岩を砕いたところ温泉が湧き出てきた。

   

亀割子安観音 【かめわりこやすかんのん】

北の方がお産をした際に加護のあった観音様を祀っている。
子授かりと安産の神として信仰されている。

   

奥の院 【おくのいん】

峠の頂を越した所で北の方がお産した。水をほしがる北の方のために弁慶が法螺貝を大地につきさして神仏に祈り、霊水を得た。後の「子安の清水」。法螺貝は「子安貝」と化して、今も岩の間から時折発見される。「義経北の方御産の跡」の石碑がある。和子は峠の名から「亀若丸」と命名。亀若丸が使った枕石「子枕石」が峠の中腹に残っている。

   

山神社 【やまのかみしゃ】

産屋を建て、北の方がしばらく養生した所。後に村人が山神社の祠を建てた。弁慶が笈(おい)を掛けて休んだ桜「笈(おい)掛け桜」が近くにあったといわれている。

   

判官楯 【ほうがんだて】

北の方のお産の肥立ちまでの間、見はりをしていた所。
笈の沢を上った西側。

   

弁慶の硯石 【べんけいのすずりいし】

亀若丸の名をつける時、弁慶が硯として墨をすった岩。近くに、弁慶の足跡や馬の足跡のついている岩がある

   

弁慶の投げ松 【べんけいのなげまつ】

弁慶が亀若丸の誕生を祝って、峠の頂上から投げた松が、瀬見温泉駅から温泉に向かう途中に根付いている。

 


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